14歳で兵士になった父

2011年02月12日

映画「太平洋の奇跡」が公開中ですね。
今まで、戦争映画など、あまり興味がなかった私ですが、最近戦争について考える事があり、これはぜひ、見に行きたいと思っている所です。

昨年、実家近くで三男の野球の試合があり、私の父も応援に来てくれました。

孫が野球を楽しむ姿を見ながら父がぽつりと言った一言が、妙に心に残ったのです。
「俺が軍隊に入ったのは14歳、身長が158センチだったなあ。」

それは、まさに、ちょうどその日14歳の誕生日を迎えた三男と同じ背丈でした。

今まであまり、戦争の話をしなかった父ですが、すでに80歳を超え、私たちに伝えておきたいと思うようになったのか、最近実家に帰るたび、ぽつりぽつりと当時の事を話すようになりました。

お正月に帰った時、父が所属していたという、
「海軍特別年少兵」の事を話してくれたのですが、今、戦友とは交流があるのかと聞いたところ、
自分は引っ越しが多かったので、戦後一切連絡もなく、その頃の戦友と会ったこともないとのことでした。

私は、ネットで見たら何かわかるかも知れないと、「特別年少兵」というものを調べてみたのですが、色んな資料を読むうちに父が10代をどんな風に過ごしたが見えてきて、
涙が止まらなくなってしまいました。

「特別年少兵」というものがどういうものだったのか、全く知らなかった私ですが、幼くして命を落としていった少年たちの存在、そしてそれが今「幻の軍隊」また「昭和の白虎隊」と呼ばれているという事を初めて知りました。


父の話は、いつも淡々としたものでしたが、他の人が書いた手記から、その軍隊での訓練は地獄の毎日だったようです。

たとえば、父は「カッター漕ぎの訓練があったな。」と、懐かしそうに話していましたが、
父と同期のある方の手記には、「カッター漕ぎの訓練は、手の血豆が破れ、ついには尻の皮がむけ、
オールも舟も血だらけになって上陸し、焼けるような地面に座らせられ、飛び上がるような痛さだった。」というような、記述がされていました。きっと、父も同じ体験をしているに違いありません。

海軍特別年少兵というのは、中堅幹部の育成を目的としていたため、午前中は、
普通の学校と同じ授業があり、数か月ごとの試験のたびに成績によって、クラス編成があったそうです。
午後の厳しい訓練の後も、すぐに寝ることも許されず、明日の授業の予習や宿題をしていかなければ、教官からこっぴどく殴られたりしたそうです。

いくら、お国の為と志願して入隊したとしても、まだまだ幼い14歳の少年たちにとっては、罵声と暴力の過酷な日々だった事は想像に難くありません。



ネットでの検索で映画「男たちの大和」が、特別年少兵を描いた作品であることを知りました。普段、邦画はほとんど観ないので、それが戦争映画であるとか、戦艦大和の話であることぐらいしか知らなかった私は、早速DVDを借りて来ました。

セーラーカラーの水兵の制服に身を包んだ少年たちを見て、私の知らない少年だった父に出会えたような気がしました。
もし、私が、30年も若ければ、主人公に恋心を抱く蒼井優演じる可憐な少女に自分を重ねたでしょうが(しかも、その子の名前が私と同じだったし)、今、3人の息子を持つ身としては、息子を戦場に送り出す母の気持ちに同調する方がはるかに容易でした。

父の両親、つまり私の祖父母も、父に会うために、三重県の山の中から、わざわざ長崎まで面会に来たそうです。汽車を乗り継ぎ、乗り継ぎ、どれだけの時間と費用がかかった事でしょう。それでも、息子に一目会うため、駆けつけた祖父母の気持ちは痛いほど理解できます。
DVDを見ながら、父の母になったような、不思議な感覚になりました。


父たちが、訓練を終える頃には、もう日本は敗戦へとまっしぐらの状態で、乗るはずだった潜水艦も戦艦もすでになくなり、飛行機の整備に回され、終戦を迎えました。
1, 2年早く生まれた少年たちの多くが、海で命を落とし、幸運にも父は助かりました。
そして、私たちや孫たちにその命を繋げてくれました。

自分が14歳だった頃、それなりに勉強、部活に頑張っていたつもりではあるけれど、
父の目には、どんなにちんたらした毎日を送っているように見えた事だろうと思います。
しかし、父からは一度も、「俺が14歳の頃はなあ~、・・・・」などと言う言葉を聞いた覚えはありません。

青春を軍隊で過ごし、戦後は生きるのに精一杯、結婚してからは、家族を養うため懸命に働いてきた父に、自分が平穏に暮らしているという事だけでしか、親孝行ができていない情けない状態ですが、実家に帰るたびに
「色々な事があったけど、いい人生だった。今は、楽しかった事しか覚えとらんな。」と口癖のようにつぶやく、父の言葉に救われています。

長崎ハウステンボスの脇の公園に「特別年少兵」の碑が建っているそうです。
機会があれば、訪ねてみたいと思います。
14歳で兵士になった父



特年兵について、ご興味のある方は、こちらも読んでみてください。
「海軍特別年少兵」http://www.geocities.jp/bane2161/kaiguntokunenhei.html
「私の体験した大東亜戦争」http://www.fureai-net.tv/daitoua/





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Posted by 梅子 at 15:13│Comments(9)日記

この記事へのコメント

面白い情報ですね、興味があります
Posted by popspace at 2011年02月12日 16:52
とても似ています。
約1年前に満81で亡くなった父のことですが、それと同じかどうかはわかりません。少年飛行兵という名前で聞いていました。
父にとっては、それに選ばれたことが誇りだったみたいです。
鹿児島県で4000人受けて10人しか合格しなかったんだと言っていました。もっと戦争が長引いていたら死んでいただろうとも。
戦争が終わったとき大分にいたらしく、歩いて帰ってきた話も聞かされて、すべてが今では想像もできないことだったと思います。

息子さん、歳と身長が同じで偶然ですね。
Posted by りえちゃんりえちゃん at 2011年02月12日 16:53
お国の為につらい訓練をしていた少年達や亡くなった人達の事を考えると、当時の国のありようや教育に憤りを感じます。
しかし、そんな負の時代を経て今の平和があることも忘れてはいけませんね

いろいろ考えさせられます。

「楽しい事しか・・」のお父様の言葉にホント救われます。

私の父も軍隊に行ったのですが、内地勤務だった為戦死せずにすみました、上級生の人はかなり亡くなったようです。
帰還した時の父の両親の大喜びしたと聞いてます。

ホント、蒼井さん役の少女と同じ名前でしたね
14歳の頃の梅子さんもきっと可憐な少女だったことでしょう

私も梅子さん同様、命を繋いでくれて身を粉にして家族の為働いてくれた、父に感謝したいです。
Posted by ぱこじ at 2011年02月12日 20:06
梅子様
14才、今で言うと中学生、その当時の教育のせいでしょうか戦争に行くのに何の抵抗もなくそれが当たり前、お国の為、当時の風潮ととしては当然だったのかもしれません、私の父も20代を戦争で過ごした一人です、戦争はするものではないそれが口癖でした。
平和な時代に生きている私達はそれだけでも感謝しなくてはいけませんね。
Posted by 金魚の郷の油屋さん at 2011年02月12日 21:47
梅子様

昔の人の話を聴く機会がなかなか無いのが残念です
平和な世の中は、当たり前ではなく、有り難いと言う思いを先人達に感謝しなくては
Posted by 茶畑管理人 at 2011年02月13日 10:18
語り継がれないといけない話だと思います。

特に最近は完全に平和ボケしてる日本で
私もその中の1人だと思います。

祖母も戦争経験者ですが
多くを語りません。
想像もできないような毎日だったことでしょう。

大切なお話をありがとうございます。
Posted by あゆ姫あゆ姫 at 2011年02月13日 23:23
*popspaceさま

ありがとうございます♪


*りえちゃんさま

お父様は、空軍の方に所属されていたのかも知れませんね。
父は、終戦の時は厚木にいて、マッカサーが来るから逃げろと言われ、家に帰ったそうです。


*ぱこじさま

私たち世代の親は、みんな戦争を生き抜いてきた人たちですね。なかなか、当時の話を聞く機会もないのですが、孫たちにもぜひ、知っておいてもらいたい事だと思います。
私が話しても、臨場感にかけるのでピンとこないようです。

私が、14歳の時・・・。おさげの芋少女でした。
Posted by 梅子 at 2011年02月14日 12:59
*金魚の郷の油屋さんさま

お国の為に死ぬことが当たり前と思わせれていた時代があっとなんて今では信じられませんね。
父は、万歳と駅で見送られながら、本当は行きたくなくて涙が出たそうです。我が家の14歳なんて、本当にまだまだ甘えん坊ですもの。

*茶畑管理人さま

私が話しても、子供たちには戦争の悲惨さは伝わりません。
辛い時代を生き抜いてきた方たちに、直接子供たちに話をしていただく機会があればいいと思います。
Posted by 梅子 at 2011年02月14日 13:07
*あゆ姫さま

当時の事は、思い出したくもないと、多くを語られない方も多いと思いますが、ぜひ、機会があれば、子供や孫に話してほしいと思います。

先人の苦労があったからこそ、今の平和がある事を理解すれば、ニュースで報道されるような成人式で騒いだりなんて事は出来ないと思うのですが。
Posted by 梅子 at 2011年02月14日 16:28
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