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Posted by おてもやん at

手洗いは大事。

2011年01月20日

インフルエンザが、じわじわと広がりつつあるみたいですが、
みなさん、大丈夫ですか?

手洗い、うがいをしっかりして予防を心がけましょう。


その昔、診察室に入ると、必ずお医者さんの隣には、これがありました。




診察を終えると、先生はこれで手を消毒されてましたよね。

先日、寄られた院長先生もこれを見つけ、懐かしがられていました。

この洗面器で、金魚など飼ってみてはどうでしょうか?


~いわしろやは、30日まで20パーセントオフのセール中です~  

Posted by 梅子 at 16:19Comments(11)昭和レトロ

ブーフーウー

2011年01月10日

全く血の繋がりもなく、親戚でもないのに、
家が母の実家の隣だったという事と、関西から来たまだ若い頃の父の下宿先の娘さん
だったという縁で、
私たち兄弟を、自分の子供のように可愛がってくれていた「あっこちゃん」。

不思議な事に、私とは誕生日も一緒。分娩室の前で、私が生まれるのを待っていてくれました。
忙しかった母に代り、どれだけお世話になったことか。
今でも、実家に帰った時には必ず遊びに行きます。

そんな、あっこちゃんは、物持ちがとっても良くって、
つい最近まで、私の弟のおむつや三輪車までとってあったらしいです。

先日遊びに行った時、見つけたのが、私たちが使っていた食器です







「ブーフーウー」って、知ってますか?
当時のNHKの番組「おかあさんといっしょ」に出ていたキャラクターの、3匹の子豚です。

もうひとつのお皿の方のブタさんたちは、あまり見覚えがないのですが、「ナショナル」のシールが貼ってある所を見ると、なんかのネベルティーグッズだったのでしょうか。






ブタさんの胸のマークのPはパナソニックのP?


こちらの起き上がりこぶし人形も、とうに40を超えた弟のものです。




色はあせているけど、カランコロンとなんとも、いい音を出してくれます。




  

Posted by 梅子 at 15:08Comments(5)昭和レトロ

年代物のチラシ

2010年11月22日

前回の、記事で我が家は、以前、食料品店もやっていたということを書きましたが

それを裏付けるものが出てまいりました。





チラシ?ポスター?
なんだか、よくわかりませんが、この中にしっかりと
海産物 乾物 缶詰
と書かれています。


いや~、しかし、歌舞伎の一場面でしょうか、すごいデザインですよね。
大事にしたいと思います。

  

Posted by 梅子 at 13:49Comments(6)昭和レトロ

フンドーダイトートバッグ

2010年11月20日

みなさん、よくご存じのお醤油のフンドーダイは

明治2年に、大久保彦四郎さんが、醤油醸造業を始め、
昭和3年に「大久保醤油株式会社」
昭和42年に「フンドーダイ醤油株式会社」
平成元年に「フンドーダイ株式会社」となり現在に至っています。

大正元年創業の岩城屋は、戦前は食料品店で、戦後、建材、荒物屋となりましたが、
20年ほど前までは、味噌や醤油などもまだ扱っていましたので、こんなものが出てきたりします。






大久保醤油株式会社とあるところをみると、これは昭和42年以前のものでしょうか。
それとも、復刻版?

これで、コンビニとかにお買い物に行ったら、なんかおしゃれな感じしませんか?

  

Posted by 梅子 at 15:53Comments(6)昭和レトロ

唐子のお皿

2010年11月10日

先日の、紅葉祭りにいらしたお客さまの事です。

本当は違う所が目的だったそうですが、たまたま紅葉祭りの看板を見て、

初めて馬見原商店街に入ってこられたそうです。

私が店先に並べていたレトロな商品を喜んで見ていらっしゃったので、古いものがお好きなのかな~と
岩城屋のレトロ展示コーナーにご案内しました。

店をぐるぐる回られて、見つけられたのが、これ。



120円 200円




「この唐子のお皿をずっと探していたんです!!市内にはどこにもなかったんですよ!!」

昔よく、おばあちゃんちとかで、見たお皿でしょう?!
こちらでは、今でも結構使われています。

沢山の唐子のお皿、昭和の匂い漂う花柄のお鍋やガラスのお皿など、沢山お求めになりました。レトロなものが、本当にお好きなんですね。

「今日ここに来て、本当によかったわ~。」と何度もおっしゃって頂き、こちらも、とっても嬉しい気持ちになりました。

「また、絶対来ます」のお言葉と共に、喜んで帰られました。
重い荷物を持たされることになったご主人も、うれしそうな奥様を見て、やさしい笑顔を見せておられました。
ありがとうございました。また、お会いできる日を楽しみにしております。
  

Posted by 梅子 at 11:13Comments(11)昭和レトロ

お弁当のお話 その2

2010年10月01日



(こちら、非売品です)

お弁当にまつわる思い出と言えば、2つほど。

まずは、悲惨なほうから。

あれは、高校一年の時、
いつものように、仲良し何人かで机を寄せ合い、お弁当を開いた。

なんか、今日は、やけに大きい醤油入れ。
そう、あの魚や瓶の形をして、赤いキャップの付いたビニール製の醤油入れだ。

よ~く見ると、何やら線が入っていて
「ここまで入れてください」の文字。

ん~?なんで、醤油を入れる量が決められているのか?
「あっ!!こっ、これって!!」
私は、一瞬にして悟った。



「検尿の容器だ!」
友達に、見つからない様あわてて隠した。
いくら未使用とはいえ、その日の弁当は食べる気にならなかったのは
言うまでもない。




懐かしい、ブック型お弁当箱10個限定発売します。
当時の付いていた価格そのまま
1650円です。(良心的~!!)
おかず入れも入っています。
へそくりでも、隠しておいたらいかがでしょう?!

発送はしておりませんので、馬見原商店街まで買いにきてね♪
  

Posted by 梅子 at 10:40Comments(3)昭和レトロ

お弁当の日

2010年09月30日

今日は、中学校の写生大会です。
給食がなく、お弁当持参です。

今年度から、「なるべく自分で弁当を作ってみよう」という、
取り組みが始まりました。

食に関する関心を高め、感謝の心を養う目的です。

出来る限りの範囲で無理なく

Aコース「自分で全部つくる」
Bコース「教えてもらいながら一緒につくる」
Cコース「一品以上のおかずをつくる」
Dコース「作ってもらったおかずやご飯を自分でつめる」
Eコース「はしを用意したり、ご飯だけつめて、ありがとうとお礼を言う」

の5コースから選ぶことができます。

うちの息子は、Cコースで。
とは言っても、竹輪の穴にキュウリを詰めて切るのと、私が下ごしらえしていたスパゲッティナポリタンを炒める、ぐらいでした。
結構喜んでやってましたよ。


昔、懐かしいアルマイトのおかず入れです。








店に展示していると、譲ってくれとの声も多かったのですが、
数がないのでお断りしていました。
今回、屋根裏倉庫物色中に結構な数を発見いたしましたので、
いわしろやにて販売いたいと思います。500円です。

おかず入れとしては使えなでしょうが、小物入れとかとしていかがでしょうか?
数が限られていますので、御一人様一点とさせていただきます。
(時に業者の方がいらっしゃるので)

みなさん、お弁当の想い出って何かありますか?
私の、想い出は・・。次回書きます。
  

Posted by 梅子 at 15:02Comments(5)昭和レトロ

マージャン狂いの息子をお持ちの方へ

2010年09月21日

先日ご紹介した、箪笥の引出しの中には、前掛け以外目ぼしいものは
何もなかったのですが、
底に敷いてあった、新聞が結構おもしろかったです。

昭和56年(1981年)ということは、かれこれ30年ほど前で、
そんなに古いというわけでもないですが、ダイエーの広告の商品が
ぶら下がり健康器だったりすると、やはり時代を感じます。

中でも、目に留まったのは、読者からの人生相談コーナーです。

「うちの妻子もある息子が、マージャン狂いで困っています。
なんとか止めさせ方法はないでしょうか?」
と息子の将来を案じる母からの切実な相談です。

この30年間で、私たちを取り巻く世界は、大きく進歩し、インターネットや携帯電話
など、当時のSFの世界のものが当たり前になってしまいました。

けれど、この悩みを読んで、30年経った今の人生相談コーナーに載っている悩みと、
なんら変わりがないことがなんか可笑しくて、一人笑ってしましました。
結局、文明は進化しても、人間の本質はちっとも、変わってないんですよね。

さてさて、マージャンを止めさせる良い知恵はあったのでしょうか?
気になる回答は・・・・・。

途中で、破れていたので、全部は読めませんでしたが、
「自主性持たせて、子離れを」
てな事でした。ごもっとも。

そんなのを、いちいち読んでいるもんだから、掃除はちっとも進みません。



  
タグ :昭和レトロ

Posted by 梅子 at 15:39Comments(2)昭和レトロ

息子たちよ、ありがとう!

2010年09月20日

連休で、高校生の長男、次男もそれぞれの寮から帰省してきて、
夕べは、久々の全員集合となりました。

昨日は、中一で野球部の三男が、初めての完投勝利を達成し
(ただの練習試合ですけどね)
主人も、よほど嬉しかったのか、自ら腕をふるい、ステーキを焼いてくれました。

我が家の息子たちのいいところは、
名前を呼ぶと、必ず「はいっ!」と返事をしてくれること。
店や、家事の手伝いを嫌がらずにやってくれること。
ちょっとしたことでも、「ありがとう」を言ってくれることです。

親ばかですが、みんな素直に育ってくれてよかったです。
三男は最近、多少反抗期気味ですが・・。

今日も、みんなで頑張って、先日書いた例のものを二階から下ろしてくれました。
もちろん、「ありがとう」を20回ばっかし言っときました。


これから、掃除して、どんな風に使おうか思案中です。

引き出しの中から、いいものが見つかりましたよ。








今、アメリカでは、この前掛け(エプロン)が、すごい人気との新聞記事を読みました。
ほんと、何が流行るかわからないものですね。





  

Posted by 梅子 at 14:37Comments(7)昭和レトロ

レトロなヂャー

2010年09月14日

「岩城屋、昭和レトロコーナー」の新入りをご紹介します。

象印 民芸調ヂャー 幸(しあわせ)です。


木のおひつから、ヂャーの登場により、いつでも暖かいご飯が食べれるようになり、みんな幸せを感じながら、食卓を囲んでいたのでしょうか。

あの頃、台所用品と言えば、全て花柄だった中、民芸調はめずらしいです。

(鍋も花柄が定番でした)

ゲゲゲの女房で台所にある、花柄のヂャーやポットが懐かしいですよね。
いつも、ドラマを見つつも、そちらについ目が行ってしまいます。
もっと、じっくり見たい!
あの、お玉等をかけてあるラックも、どこの家庭にもあったな~。

お醤油差しは、この柄じゃなかったですか?
もう一度登場してくれないかな。

しか、「ジャー」ではなく「ヂャー」だったとは、知りませんでした。
  

Posted by 梅子 at 13:05Comments(5)昭和レトロ

レトロなお弁当箱

2010年07月26日

昨日のモライアスロン大会、スタートと同時にすごい雷雨となり、
大変でした。

お天気ばかりは、どうしようもありませんが、せっかく来ていただいた皆さんには
十分楽しんでいただけなかったのではとちょっと申しわけない気がしております。

でも事故もなく、無事終了して何よりでした。

ぜひ、また来年も参加してくださいね。



岩城屋レトロコーナーで、皆さんが一番

「わ~、懐かしか~!!」と
感嘆の声をあげられるのが

この、アルミのブック型、お弁当箱です。





横に、スライド式の、箸入れ
中には、かっちと止めるおかず入れ、
そして、替えのパッキンもついています。



よく、ストーブで温めとったよね~、とか、
汁がこぼれて、教科書が汚れたことがあったな~、とか、
これを見ていると、皆さんいろんな思い出が浮かばれるようです。

一緒にお弁当を食べた友達の顔や、教室、
そして、毎日お弁当を作ってくれた
まだ若くて優しかったお母さんの顔が思い出されるのかもしれません。

もうちょっと若い方には、このビッケのお弁当箱が人気です。




ビッケ?
私は、ちょっと知らないんですよね~。
ブー、フー、ウーなら知ってるけど・・・。


  

Posted by 梅子 at 14:13Comments(3)昭和レトロ

高機能洗濯木

2010年06月23日

毎日、どろどろの息子の野球のユニフォーム。
泥ジミってほんと落ちないんですよね。

色々試してみましたが、やっぱりこれが一番きれいになります!!






2670円で岩城屋にて販売いたしております♪  
タグ :洗濯板野球

Posted by 梅子 at 14:28Comments(4)昭和レトロ

古き良き時代

2010年06月12日

先日、yoshiさんより頂いたコメントで、

「熊日写真館というサイトで紹介されていた写真の中で
バス停の看板に岩城屋の文字を見つけました。」との情報を頂きました。
http://bp.kumanichi.com/photo/archives/list?page=2&words=%E8%98%87%E9%99%BD

早速のぞいてみると・・・
見つけました!

昭和35年です。

産交バスの停留所はなくなりましたが、この広場は今もあります。
主人も子供のころ、よくここで遊んでいたそうです。

馬見原の地蔵祭りの写真もいくつかありました。
仮装行列で、楽しそうに熊の後ろを歩いている男性は、うちの叔父のような。

楽しい発見でした。yoshiさんありがとうございました。

昔の馬見原の町並みを、ぜひのぞいてみてください。

  
タグ :馬見原

Posted by 梅子 at 16:22Comments(2)昭和レトロ

ん~、マンダム

2010年05月11日

「顎に、なんかついとるよ。」
  
   「ん~、マンダム」

これがわかったあなた、私と同世代ですね(笑)。






岩城屋レトロコーナーには、懐かしいレコードも展示しております。






主人が、子供の頃買ったものです。

ちなみに、私が初めて買ったレコードは

ずーとるびの「こずえちゃん」です。


先日の、馬見原街づくりシンポジュウム、
並びに、馬見原まち歩きには、たくさんのご参加ありがとうございました。

これからも、魅了ある商店街目指し、がんばりますのでよろしくお願いいたします  

Posted by 梅子 at 17:41Comments(6)昭和レトロ

トリスもありました。

2010年02月08日

先日、赤玉ハニーワインの記事をアップした時

「次はトリス?」とのコメント頂いていたので

探してみたらありました。

恐るべし「岩城屋」!






でも、下が変。

トリスおじさんの顔を取ると
怖いおじさんが出現!






で、そのおじさんの顔を取ると
今度はお多福さん。





徳利には「仲良し徳利」と書いてありました。
珍品です??




トリスを飲んでハワイに行こう!・・でしたっけ?  
タグ :トリス

Posted by 梅子 at 10:48Comments(6)昭和レトロ

赤玉ハニーワイングラス

2010年01月26日



離れの古い食器棚から、見つけ出した、赤玉ハニーワインのグラス。

昭和40年代頃、ボジョレーヌーボなどという言葉さえ耳にした事はなく
ワインといえば、誰しも赤玉ポートワインを思い浮かべた。

我が家にも、確かにそのワインは存在していた。
お正月などに、たま~に母が飲んでいたような気がする。
大人の香りがする、その赤い液体は子供心にも、とても魅力的だった。

あの日の丸の様なデザインの瓶を思い浮かべていると、ふとその味が脳裏をよぎった。
言葉で表現するのは難しいが、甘いそのアルコールの飲み物の味はきっと今飲んでも、
「はいはい、やっぱりこの味でした。」と言えると思う。

味覚というものも、思い出せるものなのだな~。

私が、それをちょっこ口にしてみたのは、小学校の時か中学校の時か、
はたまた高校生になってからは、とんと覚えていないのだが、
兄がこそ~っと飲んでいるのを目撃したのだけはしっかり覚えているのである。




10歳ぐらいの時、喫茶店で、コーヒーを注文した父に
「私も、コーヒー」と言ったら、
怒ったような、呆れた様な変な顔をされ、
あわてて「やっぱり、オレンジジュース。」と言いなおした。



コーヒーとワインは、まだまだ長い大人へ階段のはるか先の方にある憧れの飲み物だった。


****赤玉ポートワインに、蜂蜜を加えたものが赤玉ハニーワインだそうです。
くしくも、今年は赤玉発売から100年とか。***
  

Posted by 梅子 at 16:16Comments(3)昭和レトロ

はじめてのおつかい

2010年01月15日

お向かいのお店に、時々、近所の小学二年生のH君が、小さな自転車でお使いにやってくる。
そう言えば、最近、商店街で、お使いをしている子供はほとんど見かけない。
忙しいお母さんたちは、仕事帰りにスーパーで買い物を済ませるし、やはり事故などが心配という事もあって子供にお使いをさせないのだろうか?確かに、こんな田舎は別として、昔と違って物騒な世の中になってしまったから、なかなか子供一人で外には出しにくいという事もあるのだろう。

私の子供時代の3大お手伝いは、お茶碗拭き、洗濯ものたたみ、そしてお使いだった。

私の育った町は、今は体育館になっている所が、病院で、隣が床屋、回転焼き屋に洋装店、それからまた床屋があって肉屋、お菓子屋、小さなスーパー、おもちゃや、魚屋、そして建具屋、銭湯、酒屋と続き、横断歩道を渡って、金物屋と毛糸屋をしていた我が家、お隣は、洋服の仕立て屋で、傘屋、自転車屋、同級生がいた薬局兼文房具の店、パチンコ屋、毎日通った駄菓子、・・・・・といった具合で、どこの店にも、それぞれ思い出がある。(斜め前には、今は見かけない貸本屋もあった)


とにかく、商店街に育った私にとって、お使いは当たり前の事だった。
魚屋に行く時、手前の建具屋の前を通ると、作業をしていたおじさんは、必ず私が来たのを察知して、百面相をして顔をあげ笑わせてくれた。そんな、おじさんが大好きで、魚屋に行くのが楽しみだった。商店街にはそんな優しさがあふれていた。
それから、魚屋さんが魚をさばくのをじーっと見たり、買い物に来ているおばさんたちと話したり、知らず知らず、お使いの中で小さな社会を学んだりしていたのだろう。


長男が3歳ぐらいのころ、「初めてのおつかい」を頼んだ。彼へのミッションは、「肉のみやべ」さんで、「ぎょうざ」を2パック買ってくることだ。

後からそ~っと、付いて行ったのは、言うまでもない。
店に入るのを見届けると、商店街の中にある火伏せ地蔵堂の陰に隠れ、彼が出てくるのを待った。白いレジバックを持っている所をみると、買い物は無事にできたらしい。

初めての一人でのお使いをこなし、自信がついたのか、鼻歌を歌いながらスキップだ!!
私は、おかしくて、一人にやにやしながら、彼を見ていた。
お堂の陰で、一人、にやついている女。だれかが見たら、かなり危ない人だったろう。

そのうち、彼は、レジバックをぐるぐる回し始めた。
ひゃ~、帰り着いた時、餃子は原形をとどめているのだろうか?と、にやにやどころではなくなったのであった。


そんな感じで、今でも息子たちには、よくお使いをさせている。
「豚こま買ってきて。」と頼んだときは、
「豚こまって何?」(きっと、彼の頭の中では、豚が独楽の様に回ってたんだろうな)
という具合で、物の名前や値段を覚えたりするのも大切なことだと思う。
お店の人にも、子供の顔や名前を覚えてもらい、前を通ると声を掛けてもらったりしている。
私が買い物に行ったとき「Y君背が伸びたね。」とか「いつも、よくあいさつさすよ。」と言ってもらえると親としてもうれしいものだ。

子供たちが、昔のようにマイ買いかご(今は、エコバッグ)を持って、お使いに来てくれる、そんな商店街が復活するといいな。

お使いの中に、小さな冒険が詰まっている。
お母さんたち、もっと子供にお使いを頼んでみませんか?
きっと、いい子に育ちますよ!



あの頃、とってもお金持ちの家の子だったNちゃんだけが、クラスで一人だけ大阪万博にいいったなあ~!


  

Posted by 梅子 at 08:40Comments(5)昭和レトロ

ジャングル大帝レオ

2009年09月27日











今朝は、なかなかいいもの発掘しました。

ジャングル大帝レオのお茶碗です。

昔は、ちゃぶ台をみんなで囲み、子供はこんなプラスティックのお茶碗でご飯食べてましたよね。



そしてお父さんには、みんなと同じおかずののほかに、酒の肴がもう一品あったものでした。(今の我が家には、ありません。かわいそうな主人)



うちの、お父さんの酒の肴の定番は、クジラの冷身。
これは、クジラの刺身を凍らせたもので、生姜醤油で食べてましたっけね~?すっごっく冷たいんですよ。



よそでは見たことないので、たぶん、私のふるさと、独特のものではないでしょうか?
というか、今では、クジラそのものがなかなかないですが。
それを、ちょっともらったりするのが楽しみでした。

そして、父はキリンビールでしたね。もちろん瓶です。
うちの、まん前が酒屋さんでしたのでよく「キルンビール一本ください。」ってお使いに行ったものでした。なので、今でも、キリンのラベルを見るとなんか昔の事を思い出したりします。
小学校の空きビン回収でそんな事を考えて、感慨深く作業をしているのは私ぐらいでしょうね。



以前も書きましたが、私が初めて見た映画が、ジャングル大帝レオでした。
うちにはそんな余裕はなかったですが、母の実家の叔母が連れて行ってくれたのでした。
もう、ずいぶん昔に無くなってしまった街の小さな映画館に行ったのも、
それが最初で最後だったかもしれません。  

Posted by 梅子 at 11:48Comments(0)昭和レトロ

お宝発掘

2009年07月12日

昨日は、ひどい雨でお店も暇でした。
久々に屋根うらの倉庫に上って何かめぼしい物がないかと物色。

見つけました!







                超レトロな象印ランチボックス。


保温ランチボックスなるものが、この世に登場したぐらいの代物ではないでしょうか?
私も、この形は初めて見ました。









               それから、アタックナンバーワン(たぶん)のアルミのお弁当箱。

昔は、これをストーブで温めたものです。

ふたつとも、岩城屋博物館に展示しましたので見来てくださいね。

懐かしいもの、まだまだありそうです。また紹介します。


  

Posted by 梅子 at 12:12Comments(5)昭和レトロ

6丁目の夕日

2009年05月07日




だいちゃんかぞえうたソノシート   岩城屋昭和レトロコーナー展示






連休も終わりましたね。
でも、まあ世間のGWも商売人の子供には、なんの関係もありません。

私も、駅前商店街の子供だったので連休といっても、親にどこかに連れて行ってもらった事もなく、またそれが当り前のように育った。


うちは駅前の通りと国道が交差する交差点の角の信号機の下で金物屋と毛糸屋をやっていた。

今ほど車の交通量はなかっただろうが、商店街もかなり活気があったように思う。
うちの斜め前の交差点の角は、産交バスのターミナルでバスガイドさんの寮もあった。


母はとにかく忙しく、2,3歳の私はよく段ボールの箱に入れられて店先に置いておかれ、バスガイドさんたちが代わるがわる子守りをしてくれていたそうだ。なんとも、のどかな時代だった。


そんな場所だったから、我が家には庭というものがなく、家の前の道路が遊び場だった。国道で、縄跳びをし、横断歩道でけんけんをしていた。弟たちは、メンコや缶けりなどをやっていたように思う。夏休みには、花火も家の前の国道でやっていた。ヘビ花火なんてしようものなら、交差点中煙でいっぱいで信号もかすんでいた。街灯には、クワガタやカブトムシが飛んできた。(そういえば、小学生のころ以来、玉虫を見かけていないが、まだいるのだろうか?)
いつか弟のいたずらに激怒した母が、通りの街灯に彼を縛り付けたことがあった。抜け出そうともがく彼と、笑いながら通りを歩く人たち。今でも思い出すたび笑える場面だ。


他にもタクシー会社の裏のドラム缶がたくさん積んであるところや駅でよく遊んだものだ。近所の子供とドラム缶の上を走りまわったり、駅でかくれんぼなどして毎日、毎日日が暮れるまで遊んでいた。今思えばかなり危険な場所なのに、叱られた覚えもない。
汚い池で、ザリガニ釣りに夢中になったり、豚の赤ちゃんが生まれたと聞いては見にいったり、牛に追いかけられたり。


今、自分が親になってみて、もし子供がそんな場所に行くとしたら絶対「ダメ!」って言うような所ばかりで遊んでいた。
昭和40年代の高度成長期、大人も子供も今より確かにたくましかった。

子供のころの思い出は、あの頃球磨川の川原で拾ったきれいな石のように、時々取り出しては眺めてみたくなる大事な宝ものだ。

  

Posted by 梅子 at 23:05Comments(2)昭和レトロ